我が団の歩みの跡

<一応知っておいていただきたい報告>

東京練馬第1団創立30周年、第2団創立18周年記念誌「さきがけ」に、昭和30年代にT・B・S・44ニュース (BS東京44団のスカウト・ニュース)なるものが発行されていたとの記事が掲載されています。
その中に「わが団の歩みの跡」と題して当時の団委員長が、団の沿革について寄稿していますので、その内容を紹介します。


団の沿革=元来この団は中野区の西村京一氏の創設する東京第44隊として昭和24年(管理責任者注:昭和25年の誤りと 思われます)に発足したものでありますが、その後練馬区の中学生(当時)安田保次君が昭和27年1月5日にこの隊に入隊したのが キッカケとなって、その翌年には練馬から5名の小学生が入隊しました。

さらにその翌年には7名の小学生が練馬から入隊しまして、ここに12名のスカウトの練馬区の少年達を中心に、 東京第44団(管理責任者注:昭和29年当時は東京第44隊と呼称していました)は練馬区に移り、後に残った本家の中野区 の44団は、その姉妹隊の東京第8団(管理責任者注:東京第8隊、現在の東京・中野第1団<現在休団中>)として再発足致した次第であります。 そこで、練馬の方の12名の少年の父兄が結成する育成会では、隊委員会を選任し、隊委員長−隊長−副長−少年隊1箇隊の 2個班編成で、ささやかなボーイ・スカウト東京第44団(隊)の活動が開始されました。

こうした本団の育ちの中で、東京及び日本のボーイスカウト運動も漸やく戦後再発足後の充実をして、世界連盟とのつながりも 強くなり、漸次に、内容が発展して、昭和31年の8月には、軽井沢の地蔵ケ原における第1回日本ジャンボリーが開催されました。 このときは、鳩山首相や皇太子さまと高松の宮の両殿下をお迎えして、内外スカウト及びその関係者が集まり、盛大に挙行されました。

この大会に、わが団も27名のボーイスカウトを擁し、4ケ班編成で、野営用具(テント、炊具など)を揃えまして、元気に参加 致しました。

何分、この隊は練馬での発足が年令の低い少年を基礎と致しましたので、初代隊長の河野氏が発足1ケ年後に病気で実際的には 退いたかたちとなっているために、団委員長みづから、隊の運営の他に、隊長の訓練指導に当たらねばならぬ状態となり、それが いろいろなかたちで、多くの苦難を重ねたのであります。しかし、こうしたなかに、実質的には、団委員長は自ら隊長を兼務して、 隊の基礎を固め、昭和34年8月の琵琶湖畔の饗庭野原における第2回日本ジャンボリーの開会に際しては、隊員27名を引きいて 団委員長が自ら隊の運営と指導に当たりながら参加致しました。

この年の隊員の総数は49名となりました。その際の団の野営具(テント・炊具・その他)も一応の補充を致しまして、 スカウト活動の将来の発展の基礎をつくったのであります。

そして、第6号台風と戦ったこの湖畔の印象的な日本ジャンボリー参加の終了後に、初級と見習いの若い少年スカウト23名が、 8月の第7号台風後の雨天をついて、山中野営場と山中湖畔に向って出発し、荒野の風雨をおそれずに、 5日間の訓練を立派にやりとげました。

このことは、これを指導した隊長兼任の団委員長として、小さな、参加スカウトと共に今に忘れ得ぬところであります。

かくて、昭和34年11月15日には練馬区立公民館において、本団の創立10周年記念式と祝賀会を開いて内外の 祝福をうけたのであります。

漸く、古参のスカウトも成長し、幾度か、富士野営の年長訓練や、その他の大小の野外活動を重ねながら、わが東京44団は たくましい伸長振りをみせました。

昭和37年度の夏期訓練における山中野営場に勢揃いしたわがスカウト数はついに80名に達したのであります。

これまでの那須野営場に、榛名湖畔に、古くは湯ケ原吉浜海岸と山中野営から鎌北湖畔に及び、さらに数度の飯能の 林間野営などの野営経験も数多く重ねながら、その間に、多くのハイキング、合同訓練などで、良いスカウトの本領を 示して参りました。また奉仕の活動も毎年常に良好な状態で続いてまいりました。

毎年の年末クリスマス集会から、年頭の連盟パレード参加など楽しい思いでも尽きせぬ程の数多いものがあります。

こうして、発足以来14年目の夏を迎えて、今は、10名の青年隊員を控えて5箇隊を編成しながらも、正に次の 発展のための分団作用の工作を必要とする線にまで成長したのであります。

ここに第3回日本ジャンボリーすなわち、富士山麓のアシヤ・ジャンボリーと称する大会にわが団は隊員総数135名 抱擁しながら参加することとなりましたのであります。これを省みるとき、多くの思い出が沸いて出る次第であります。

以上後進の方々のために、わが団の今日までに歩んで参りました概況を述べて、その沿革を伝えます。

今後もこれまでのあゆみのように幸福な無事故の発展を続けたい念願致します。

昭和37年5月9日 団委員長 記


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