団委員長挨拶
創立50周年の記念式典に臨み、ご挨拶させていただきます。
初めに、お寒い中、ご臨席を賜わりました東京連盟役員の皆様、練馬地区役員の皆様を始め地区の指導者、
スカウトの皆様に厚くお礼申し上げます。
そして、ここに練馬第一団創立50周年記念式典を新世紀の初めの年に、多くの方々とともに執り行うことができたことを嬉しく思い、
スカウトを始めとする団関係者と祝いたいと存じます。
今までの50年間は決して順風満帆ではありませんでしたが、今日こうして記念式典を迎えられたことは、
偏に団を支えてきて下さった多くの諸先輩、関係者のボーイスカウト運動に対する理解と熱い思いの賜物とここに改めて
感謝いたしたいと存じます。
ここで、練馬第一団の歴史を振り返ってみたいと思います。
1950年(昭和25年)4月1日に中野で、東京44隊が産声を上げました。当時、練馬にはボーイスカウト隊が存在せず、
練馬の少年達が中野の隊に通いましたが、その人数も多くなりましたので、3年後の1953年(昭和28年)には、
本隊である東京8隊を中野に、44隊は練馬に移しました。この時、年少隊、今のカブスカウト隊は東京8隊に移籍しましたので、
少年隊、今のボーイスカウト隊だけのものでした。
その後、団機構改革で、1958年(昭和33年)に東京44団になり、1959年(昭和34年)に年長隊、
今のベンチャー隊が、1961年(昭和36年)にカブスカウト隊が発隊し、団も100名を越える大家族となりました。
地区も西部地区から、城北地区、練馬地区と変わっていきました。スカウト数も益々増加しましたので、44団から分割し、
東京208、209、210、211団となり、西武沿線の子供達が所属していました。その頃になると練馬区内にも団ができるようになり、
入団するスカウトも減少して行きました。そこで、1969年(昭和44年)には分割していた団を44団に吸収しました。
そして、1978年(昭和53年)に今の練馬第一団に呼称変更され、1987年(昭和62年)には、ビーバースカウト隊もでき、
現在の練馬第一団となりました。
その間、1956年の軽井沢で行われた第1回日本ジャンボリーへの参加から、日本ジャンボリー、東京キャンポリーと全ての行事に
積極的に参加してまいりました。
現在のスカウト数、74名、指導者、40名の計114名の団家族で、各隊ごとに毎月の活動を行っております。団行事としては、
入団式、BP祭、育成会ハイク、そして雨に遭ったことのないバザーと餅つきがあります。
新世紀を迎え、今日、ここに50周年記念式典を執り行うことができましたことを機に、ボーイスカウトの創始者、 ベーデン・パウエルの意思を損なうことなく、『ちかいとおきて』の実践をとおして、これからの青少年に良い環境を提供できるよう 団関係者と努力していく所存ですので、なお、一層のご支援を賜わりますようここにお願い申し上げます。
これで、私の挨拶とさせていただきます。
ありがとうございます。